マエグくん
2001年5月の日記
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5月23日
今日は雨。ベランダに出ると、少し肌寒い。
一人半袖祭りの中止が宣言される。
街へ出ると集団長袖音頭の集団に遭遇した。
その波に流されながら、レポート用の本を探しに横浜をぶらつく。本GET。
そして三限のスペ語。あまりのたるさにあくびをかみ殺しきれない。
ちなみに今日の語学のコンセプトは「クラ友と仲良く」
四十パーセントほどの成功を収めた気になる。
練習会では近年まれに見るほど集中っぷりを発揮。
そしてペナントでは近年まれに見るほどの辛さを体験。
マレーシア人に教えてもらった辛さ対策もまったく通用しなかった。
ヌダとクロサウと三人で涙目になる。
ベローチェではヌダ、クロサウ、俺による秘密会議が行われる。
そーいやー「秘密結社って秘密って銘打ってる割には
知られちゃってるじゃん。秘密でもなんでもなくない?。」っていうつっこみがあるけど、
渋澤龍彦によると秘密結社ってのは結社への入会の方法や、その時行われる
儀式みたいなもんが秘密だそうな。だから結社の存在自体は知られてても構わないらしい。
閑話休題。結局「蛍の光」が流れ始めるまで会議は続く。
そして帰宅。駅から家へ向かうバスの中で、小学校の同級生を見かける。
時期はずれのダウンのジャケットを着た彼はえらくイタい奴で、
秘密会議で疲れた俺に、話し掛けるためのカロリーはもはや残っていなかった。
5月24日
朝は曇り。ベランダから流れてくる大気が俺に今日の天気を教える。
「あんたぜぇったい雨降るから傘持っていきなさい。」
「いや、降らんよ。勘がそう言ってる」
だがその十分後、自分の勘ほど当てにならんもんはない事を痛感させられる。
その後母親の冷たい目にも負けず、むしむしした車内のうざさにも負けず、
無事2限のスペ語に間に合う。
今月はクラ友と仲良くしよう月間なので頑張ってクラ友に話し掛ける。
達成度は30パーってところ。昨日より下がってるのが少し気にかかるが
今日はスペイン語の神様が俺に降りてきた気がするので良しとする。
昼食後しばし部室でのんびりした後、予備校の時の友人と図書館で、
ヨーロッパ秘密会議を行う。
途中「アジア パー人伝」なる本に心を奪われ、会議をほっぽり出してしまい
会議は友人の独壇場となる。
会議は結論の出ないまま終わり、その後私はバイトへ向かった。
いつもながらに思うのだが最近の小学生は大人びている。
喋ってるレベルは俺たちの頃とあまり変わらないのだろうが、
格好がだんちで大人っぽい。
ふとキャスガ姫のことを思い出し、何故か切ない気分になる。
バイトを終え、最寄の駅についた時、外は雨でいっぱいだった。
仕方がなく母親にラブコールをかけ、車で迎えに来てもらう。
「ほら言ったとおりでしょ」
朝以上の冷たい目つきに耐えつつ、俺は車が早く家に着くことを願っていた。
5月25日
二・三週間ぐらい前から楽しみにしていた日がある。それが今日二十五日である。
いや、であったと言う方が正しい。結局それは果たされなかったのだから。
その前兆は起きる前、すなわち夢の中ですでに起こっていた。
だが不覚にも私はそれがよもや正夢になろうとは思わず、
逆に「あー、夢でよかった」と思うだけであった。
この日一日の行動はほぼそれに向けられていたといっても過言ではない。
バイトを入れなかったのもそのためだし、書道道具を持ってこなかったのもその
ためだし、5限をサボるのはいつものことであった。
穏やかな昼下がり、幸運にも3限の語学が休講であった私は、それを実行するための
必要不可欠なパートナーであるW嬢にメールで連絡をとった。
それはあくまでも確認のメールであり、瑣末なことの取り決めにすぎなかった。
だがW嬢から返ってきた返事は驚くべきものだった。
「あなたの計画に手を貸すのはこれ以上無理だ。
申し訳ないが私は降りさせてもらうよ。」
私は凍りついた。
まさか、彼女に限ってそんなことはないはずだ。
私は今目の前で起こったことが信じられないでいた。
だが、メールにははっきりと拒絶の意がこめられており、
それがまごうかたなき真実であることを私に告げていた。
計画は挫折した。
だが私は決して諦めはしない。
またいつの日か、この偉大なる計画を実行に移す日が来るはずだ。、
そしてその時こそ私は自己の-中で-そこに立ち、光の-中に-立つこと、
すなわち光輝と名声とを得ることができるだろう。
5月26日
まったく練習をしてない特別練習会を終え、
駅からの帰り道をバスに乗らず、途中まで歩く。
何で途中まで歩いたかなんてことは、さしあたって問題じゃない。
要は俺が夕方の街を歩くのが好きだってことが重要なのだ。
夕方は好きだ。
特に夏の夕方が好きだ。
空は薄赤紫色で覆われていて、風はいまだ昼間の暑熱の余韻を残しているものの、
適度な湿り気を帯びながら、心地よい。
昼の長さに帰りの時間を忘れてか子供たちの声がどこからか聞こえる。
ざわめきの残る街。
昼でもなく夜でもない空間がそこに現れる。
時間にすれば30分か40分の短い時。
そして街は夜の貌を見せ始める。
そんな薄闇に覆われた街を歩くのが俺は好きだ。
5月27日
朝、気が付いてみると時計は十時をすでにまわったところだった。
友達との待ち合わせ時刻は十時半。
間に合うはずもない。友達にそっこーメールを送り許しを請う。
だが返ってきたメールを読んだら、その友達も寝坊していてむしろ俺のメールで
目を覚ましたぐらいらしい。ビバ、高校のときの友達。
さて今日は東大の五月祭。
本郷に行ってみてびっくりしたんだけど、とにかく広い!
日吉の2、5倍はあったね。そんで緑も多くてなかなか快適スペースだった。
いろいろ買い食いをして、オーロラの研究を見て、恋愛性格指数を計って、
一応東大の書道研を見たら、なんと高校のときの友達に会ってびつくり。
書道って人気なのかなあと思ってしまったよ。
そんでさらにプラプラしてたらまた高校のときの友達に会って、
めちゃめちゃ懐かしかった。その後はそいつも含めて三人でプラプラしてた。
そしたら遠くに人だかりができてたからなんじゃなんじゃと行って見ると、
WISHっていうダンスサークルの講演が始まるとこだった。
いやあなんつーかダンスってマジかっこいいね。
超踊りてーって思いましたよ,あたしゃ。
三田祭は是非JADEを見に行くと心に決めたですよ。
その後はみんなダンスを見て上がりっぱなしだったテンションを静めるべく、
カラオケに行きました。
そこでマエグイッケイは、シーソーゲームを満足に歌えることができ、
幸せそうに家に帰ったとさ。
ちゃんちゃん。
5月28日
今日の労働時間は十時間オーバーでした。
プロレタリアートの気分が少しだけわかりました。
そりゃ世界同時革命の一つや二つ起こしたくもなるですよ。
今からレポートです。
明後日締め切りB4二十枚でまだ一枚も終わっていません。
てゆーか課題図書さえ読んでません。
身から出た錆です。
笑ってやってください。
こんな俺を。
5月29日
うへへ。いやーまいっちまうね。
明日が締め切りだと思ってたレポート、実は明後日までだったんだよ。
も〜、気緩みっぱなし。昨日の俺が馬鹿みたい。
さよなら、昨日までの俺。
そんで調子に乗ってると、明日になってまた今日と同じくえぐるんだろうなあ。
うーん未来日記。
さーて今日は何したんだっけかな?
そう、コールだよ,コール。
部室でまったりしてるときにオウガと話してたんだけど、
アノ会のコールが最近硬直化しててつまんない。
だからなんか考えようってことだったんだよ。
んでまあとりあえず出たのが「天体観測」の替え歌で、
♪飲めないものを飲もうとして、も一度酒を流し込んだ♪
ってなかんじ。
この後は考えてないんだけど、これの難点は飲ませるところがないんだよね。
「森のくまさん」で言うところの‘それいっきっきのき〜’のところ。
オイェ〜、ハハァ。のところで飲ませちまおうかねえ?
その後、バイトしながら考えたのをいくつか公開。
アミンの「待つわ」で、
♪かわいい振りしてあの子わりと飲むもんだねって、私飲むわいつまでも飲むわ、
たとえあなたがつぶれて寝てしまうまで♪
いまいち語呂が悪いし勢いもないんだけど女の子にやってもらいたいコール。
後は
♪飲んで飲んで飲んで飲んで飲んで飲んで飲んで飲んで飲んで
回って回って回ってリバる♪
とか。
まあ今度ゆっくり「コール会議」でも開いてみたいもんですなあ。
5月30日
東急でブスを見た。
こう書くと「人の顔を批評するより自分の顔をどうにかしろ!」と
女性からの声が聞こえてきそうだが、
いやほんとにブスだった。
ベクトルの方向は真逆だけど絶対値を取ったら、
本上まなみ、松島奈々子レベルのブス。
なんと言うかそれは一種感動的ですらあった。
俺が今までブスだと思ってしまっていた女性はまったくそんなんではなくて、
むしろかわいい部類であったことがわかった。
いやそれどころか、男の女装の方が何杯も美しいと思えるほどであった。
そう、それが例えヤリカワやムフヤマさんであったとしてもだ。
俺は正直目が離せなかった。
めちゃめちゃ綺麗な人が電車かなんかで近くにいるとき、
ついついそっちを見ちゃうことってあるでしょ。
それと同じで目を離そうと思っても、どーしても目が離せなかった。
普通我々は女性ならば美しく、男性ならばかっこ良くなろうと努力する。
だが,並みの男がいくら努力してもキムタクや浅野忠信には
けしてなれないように、限界というものがそこにはある。
彼らはいわば「美」の女神に愛されているといえる。
そして今日見た彼女は間違いなく「醜」の女神に祝福されていた。
凡百の女たちがどんなに醜くなろうと努力しても、
決して彼女のレベルには追いつけないであろう。
俺は正直この瞬間を幸せだと感じた。
こんなハイレベルな人間をどの分野であれ、
間近で見れることなどめったにないからだ。
そして目の前にいる彼女はまごう方無き本物だった!!!
「醜」も個性。そう確信することができる一日だった。
5月31日
ひよれんじゃよ。
何とかうまく行きました。
皆さんのおかげです。
ありがとうございました。
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