ヨシノブくん
2001年6月の日記



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(一部実名表記があります)



30日
二日酔い。友人I君が、龍角散のど飴と生茶を買って来てくれた。
流しで2,3回吐いた。am8:20にI君と一緒に家を出る。
僕は、酔っていて歩くのが遅かったので、I君には先に行ってもらった。
一人になってから、まだ気持ち悪くなって路上に吐いた。
日吉に着いてから、薬局で胃腸内服液を買い、飲んで、
胃が治まったところで、吉野家で牛丼を食べる。
 今日の夜も飲み会で、控え目に飲む。しかし、色々混ぜた物を飲まされる。
北川さんが、「後で、液キャベ買って上げるから」とおっしゃられた。
今日は家に帰った。


29日
四限終了後、塾高時代の友達に電話する。医学部の友人である。
「もう家にいるから。」ということなので、多摩川の彼のアパートに行く。
今日は、飲み会があるため、彼の家に泊めてもらう。
荷物を置かせてもらって、しばらくテレビを見て、僕は渋谷に行く。
モヤイ像前集合であった。
着くとみんないて、北川稚佳子さん、瀬戸山紗絵さんらにお会いできて良かった。
飲み屋に行くまで、早稲田の山本菜央さんと色々話した。
彼女は僕のことを嫌がっていなかっただろうか。不安だ。

飲み会中、他大学の知らない人から、自己紹介されるも、物忘れの激しい私は、
早稲田の吉川君の名前を覚えるだけで、精一杯だった。
明治の短大の若色美奈さんには嫌われたと思う。
明治の大石悟郎君が、わざわざ僕の所に挨拶に来てくれた。
そのときの僕の態度は、偉そうだったと、大森さんに言われた。
北川稚佳子さん、瀬戸山紗絵さん、米川丈士さんのテーブルにお招き頂く。
早稲田の小濱さんがいらっしゃって、飲まされる。
「紺碧の空」を歌い、「都の西北」も歌ったが、歌詞を間違えてしまう。
首根っこをつかまれてにらまれた。

数日前、北川稚佳子さんが大学生の時、酔っ払うと凄かった話きたので、
彼女に飲ませて「ゴー、アグリカルチャー!!」と
叫ばせようとするが、彼女はあまり飲まなかった。
その後、紗絵さんの前で、
「紗絵さんは僕のランキングでは、小森谷さんに次いで、二位です。」というと、
「人にランキングつけるのは、失礼よ。無礼千万。」といわれてしまう。
ここで新たな常識を知る。

二次会にも出る。吉川(早稲田)、小野恭平、私のテーブルで、
「都の西北」、「紺碧の空」を大声でみんなで歌っていると、先輩から、
「他のお客さんもいるから静にしろ」と注意された。
隣のテーブルにいた、一般客のおやじさんから、「こちらの方は、
大先輩だよ。」と言われる。そこには、早稲田出身の方がいたのだろう。
二次会はあまり盛り上がらなかった。

二次会も終わって、友人宅へ帰った。
大分、飲んでいて、家に着くとすぐ寝てしまった。
問題は、この後である。

午後二時ごろ、眠りの中で、胃がねじれる思いをした。
次の瞬間、私は吐いていた。しかも友達の布団の上で。
続けて吐いた。友達の教科書類も汚しそうだったが、それは友達が必死にガード。
友達が持ってきた、洗面器に吐いて寝てしまった。
友達は、「僕は、将来医者になるから、こういうことを
進んでしなくてはいけないから。」と言って、手で私の吐捨物を救い、
きれいにしてくれた。
さらに、私の汚れたTシャツに変えて、彼のTシャツを貸してくれた。
私は、それを無意識の内に着て、眠ったようだ。


28日
授業終了後、蒲田のアプリコに、明日からの校外展の準備に行く。
会場の準備をみんなとしたが、迅速に行動できなかった。
社会に出てからやっていけるか心配になった。


27日
クラスメートと帰るときに、並木道で森村と永榮に会う。
渋谷まで一緒だったが、電車の中で、私がクラスメートの女子学生と話していたら、
永榮に「ヨシノブは女ったらしだね。」と言われる。


26日
山手線で寝過ごして、一周して、新大久保まで行ってしまう。
1限に1時間遅れて着く。お昼は食堂でラーメンを食べる。
ソフトボールの授業では、またピッチャーをやる。
三塁打を一本打つ。
その後、三田部室に行く。
コネカワさん、タカチュさん、ゴトワダさん、ニウさんがいらっしゃった。
タカチュさんにジュースとお菓子をご馳走になる。
セトアマさんが、PM6:00頃いらして、英語を教えて頂いた。
私が30分かかるところを、わずか数秒で翻訳された。
さすが英米文学科の方は違う。
4年生は、連盟の4年飲みのため、新宿へ行かれた。


25日
帰宅後、勉強しているときに、小野恭平のことを思い出した。
彼はいい人だ。優しい。
この前の書連展の飲み会の後、酔っ払った僕の肩を持ってくれた。
本当にいい奴だ。しかし、ここで忘れてはいけない。
彼が、「さわやか系装う危険人物」であることを。


24日
半日寝ている。教習所に行って下見をしてくる。


23日
2減終了後、加藤康久さんと佐藤さんと私の三人で御昼を食べる。ご馳走になる。


22日
寝過ごして新宿まで行く。
10分遅刻して、1限に到着。教室に入ると、クラスのみんなはクスクス笑う。
先生に「すみません」と言って席に着く。
授業中に、「あなたは何が好きですか?」と、中国語で訊かれた。
私は中国語で、「私は中国料理が好きで、フランス人が嫌いです」と答えた。
先生は驚いていたし、みんなは「エー!」という反応をした。
「日本に西洋文明が入って来て、日本が悪くなったから、欧米は嫌いです」と
きちん理由を説明した。


21日
新幹線を待っている時に、椅子に座って寝てしまい、AM6:43発の
新幹線を乗り逃してしまう。駅員に、「君は何時の新幹線に乗るの?」と訊かれて、
「43分」と答えた。「それは、さっき行っちゃったよ。次は、6:55。5番線から。」と
教えて頂いたので、すぐに行って乗る。
1限に10分遅れて出る。眠かった。
2限の法学の授業でも、眠く、うつらうつらしていた。
前の方の席に座っていたので、先生からはよく見えただろう。
とうとう睡魔に負けて、首を垂れて寝てしまうと、先生が大声で
科学とは何だ!!」と怒鳴った。
ちょうどその時、法解釈は学問であるかどうかということを講義している時だった。
私が寝ていたから、大声を出したのだろう。久しぶりに日吉の床屋に行く。


20日
合作に出る。
四字熟語を書いているときに、私がつまらないギャグを連発したら、
どんどん打率が下がっていった。
前田一聖書道会野球部門一軍監督からは、三軍落ちを言い渡された。
三軍は有川さんしかいないらしい。


19日
朝、乗り過ごして白楽まで行ってしまう。十分ほど遅刻する。
教授に「すみません。遅刻しました。」と謝る。
三限のソフトボールの時間では、ピッチャーライナーを三球体に受けた。
内一球はガチャピンが打ったものだった。


18日
図書館でレポートを作成するために、本を検索する。いい本が見つかった。


17日
午前七時に目覚ましが鳴る。
しかし、止めて寝てしまう。
十二時頃に起きるが、昼食をとって午後二時まで寝る。
起きて、部屋を片付けていると、「こんにちは」と客が来る。
玄関に行くと、平原さんがかけているような眼鏡をかけ、
リュックを背負ったきれいで若い女性がいた。
話を聞くと、アフリカの学校のない地域に、学校設立のため日曜雑貨を売って
お金をあつめているのだという。
私は、はっきり断ろうかと考えたが、自分が、日本の近代教育の成立に尽力された
福沢先生の門下生であることを考え、募金をしようと思った。
品物は一つ四百円と、高いので、買わなかった。
「学生の身分ですから、大した額は払えませんが。」と言い、五十円を渡した。
その女性は、「ありがとうございます。」と言って帰って行った。
夕方、母と一緒に洋服の青山にスーツを買いに行った。
二着買ったが、九万もした。
親に本当に迷惑を掛けたと思う。


16日
ベロン、ベロンによっぱらっております。
帰りの新幹線中でメール打っております。
今日は書連展に午後二時半から参加。
慶応OGの北川稚佳子さんに初めてお会いする。
お互いに実家が農業をしているということで、農業話で花が咲く。
残念ながら、北川さんは飲み会に参加せずお帰りになられる。
飲み会に参加。
早稲田OBのシミーズヨウさんにコールを振られ、一気飲みをする羽目になる。
私としては、大変光栄である。
その後、全大学のコールが終わる前に、「六旗の下に」の歌詞カードを出して、
各大学の応援歌を歌う。かなりでしゃばりました。
国学のコールの前に歌ってしまった。後で、小濱さんから、御指摘賜る。
国学の方すみません。
日本女子大のカアサキ嬢とココオ嬢、跡見のタキザウ嬢とお話させて頂く。
お名前を覚えるのに苦労した。名前当てクイズで、二回間違えた。そそう。
駅に行く時、よっぱらった僕を、ガチャピンが肩を持ってくれて、助けてくれた。
感謝。ありがとうございました。優しい人だと思った。
しかも、私は今日、他大学の方々に、「ガチャピンは夜の帝王ですよ。」と
中傷したにもかかわらずにだ。本当に優しい人だ。
早稲田のヤアモトナオ嬢が近くにいらしたが、私が路上で
都の西北を歌い出したら、私から離れていかれた。
カクゼソさんがそばにいて下さって、私の都の西北を聞いて下さった。


そ の 5(15日)
今日も一限から。
朝五時半に起き朝食を急いでとり駅へ。
宇都宮駅で新幹線に乗り換える為、上りの電車に乗る。
座れたので寝る。
全てを忘れて暴睡。
気がついた時には、宇都宮をはるかに越えた大宮駅。
このとき八時三十分。
埼京線で渋谷へ行ったほうが早いのでそうする。
一時間遅れで授業に出る。
「先生、遅れてすみません。」と言うと、クラスメートは一笑。
帰宅してから、家族に話すと、「何のために早く起こしたか分からない。」と
母に言われ、妹からは「何やってんの。学校行ってる意味ないでしょ。」と言われる。
自分でも建学の精神がたるんでいると反省する。
一昨日の反省の意味がない。
そういえば最近、退行しているように思う。
他人との付き合いでも、失言あり、放言あり、暴言あり、無礼あり、
振り逃げ(人に話を振っておいて返事をきかないこと)、見逃し(人の話を
きかないこと)、何でもありで、これから先どうなるの?!っていうぐらい
どうしようもない。本当にしっかりしなくてはいけない。
今日遅刻した授業は必修の中国語でした。あーあ。


そ の 4(14日)
昨夜、床に着く前に、高校の時の遅刻の多さを反省しました。
電車で寝過ごして遅刻することがほとんどでした。
遅刻するなんてことは、気がたるんでいるからだと思い、明日からは
寝過ごさないようにと思いました。
寝たのが午前二時を回ってから。
朝五時に起きて朝食をとる。
寝ぼけていてシチューをこぼしてしまう。
新幹線のなかでも爆睡。
東横線でも爆睡。気づいたら東白楽で、仕方がないからこのまま横浜まで行って
急行に乗ろうと考えて眠る。そしたら桜木町。
着いたホームの反対側に、急行が止まっていたので、それに乗る。
その急行でも爆睡。菊名に来て各駅に乗り換える。
なぜそんなことをしたのか?
自分でも分からない。そのとき、正常な思考が働いていなかったのだろう。
25分遅れで、教室に着く。先生に
「すみません。遅れました。今日は桜木町まで行ってしまいました。」と言うと、
クラスのみんなが爆笑。
先生は、「セキア君の一年間のルートマップを作ると面白いかもね。」とおっしゃられた。
二限の法学が終わったとき、先生に前期のテストの有無を確認しにいったら、
「やらないよ。やってあげようか?」とおっしゃられて、
私が右手を横に振って「いえいえ、けっこうです。」と申すと、
先生にそれを真以された。
高校の時に、口ではっきりいわず、腕をばってんにして、駄目ということを
友達に伝えたら、それを先生に目撃されしかられたことを思い出した。
悪い癖なんです。


そ の 3(13日)
新幹線の中で曝睡。
掃除のおばちゃんに、「終点だよ」と言われる。
一度立ち上がるが、睡魔に負けてダウン。
掃除のおばちゃんから、「ほら、がんばって。」と言われ、
立ち上がり、新幹線を出る。
山手線でも曝睡。しかし、渋谷に着くときちんと起きることができる。
しかし、眠い。
ふらふらと、半分眠った状態で、東横線の改札をくぐる。
電車をおりてきた人たちとぶつかりそうになりながらも、特急に乗り、
席に座って曝睡。夢の世界へ。
しばらくして、ドアが開く音を聞き、「乗り過ごしたのではないか!?」と
あわてて立ち上がり、ドアの所まで来て見ると、
目の前には「自由が丘」と書いてあるではないか。
あわててたちあがった自分がはずかしくなる。
また寝て武蔵小杉で下りる。各停に乗り換え日吉へ。
普通に授業を受けて放課後になる。
部室に行くと、たくさん人がいた。
すぐに書連展の準備へとその人たちは行った。
シカモトさんとオオモソさんとオーノーが残る。
しばらくしてイセーイさんがお見えになる。
お話をしていて、イセーイさんに振り逃げをしてしまった。
「お前いいよ。」と言われて、僕は褒められていると勘違いし、
「そんなに僕はいいですか?」と言うと
「違う。もういいよってことだから。」言われる。
そして、「セキアは俺のランキングの中で、ずっと下の方にいるから。
頑張って順位あげろよ。構造改革でもしろよ。
オノキヨヘイを総理にして、モリムフを外務大臣にでもすれば大丈夫だ」と言われる。
まいったなー。


そ の 2
先週土曜日(9日)、ヤアシタが私の実家栃木県に来ました。
武蔵小杉で待ち合わせして、赤羽から宇都宮線に乗り換えて行ったのですが、
長い道のりでした。
というのは、新幹線を使わずに行ったからです。
二時に武蔵小杉を出て我が家に着いたのが六時十五分。
宇都宮駅で乗り換えがあったので、その待ち時間に
立ち食いそばを食べました。
遠路はるばる、わざわざ来てくれるヤアシタにそばをおごりました。
宇都宮名物ぎょうざそば。
ヤアシタはありがとうと言ってはいましたが、本当に喜んでもらえたかどうか
気になります。無理矢理勧めたところがあったものですから。
家に着いてから、私の部屋で野球選手名鑑をみて、
それから夕食をとり、近くの温泉に行きました。
露店風呂で野球のことや塾高のことをはなしました。
帰宅してからはスーパーファミコンの野球ゲームをやり、私が勝ちました。
十二時に就寝。

翌日午前十一時に起床。
ヤアシタは私のいびきが気にならなかったのでしょうか?
ご飯を食べるときに、「セキアはそんなにいびきうるさいかな?」と言ってました。
兼ねて計画していた、山縣有朋記念館訪問。
父の運転で、栃木県矢板市にある記念館に行きました。
行く途中で父が道を間違えてしまい、「県民の森」なる公園に行ってしまいました。
そこの館内をまわってから、本命の山縣記念館へ。
入場料五百円で、コーヒーのサービス付でした。
なんでも、山縣有朋の御子孫が慶応にいらっしゃるとのことでした。
最初は、この後日光に行く予定でしたが、先ほど道を間違えた為
時間がなく、宇都宮駅へ直行。
ヤアシタを見送って帰りました。


そ の 1
今日(6日)ペナントで、タカニョさんとアリカウさんとオーノーと私で、
ハシッコに座りました。
オーノーのスパゲティにタカニョさんがタバスコを入れようと
しつこくオーノーに迫り、たくさんかけました。
私のすきやき丼がきたとき、「すきやき丼にタバスコ入れたら
どうなりますかね?」と言ったら、タカニョさんがたくさんタバスコをかけてくれました。
食べてみたら、すきやきのあの甘さがなくなっていました。
タカニョさんは甘いコーヒーを頼まれたようでした。
「タカニョさん、僕のわがままを聞いて頂けますか?」と言うと、
「えー、やだよ。」とおっしゃられましたが、「いえ、ただ水を
持ってきて頂きたいだけです。」と言うと、水差しを取りに席を立って行かれた。
私はすぐに計画を実行した。
まだ、半分以上残っているコーヒーにタバスコをガバーッ。
私は知らぬふりをして、タカニョさんがそれを口にするのを待っていた。
戻って来られたタカニョさんは何も知らず、タバスコたっぷりのコーヒーを
ストローで飲んだ。
私は顔がにやけてしまった。
次の瞬間、タカニョさんはコーヒーをはいた。
「なんだよこれー。誰だ、タバスコ入れたの?」とチョイ切れして、
最初はオーノーのことを疑っていたようでしたが、私だと気付かれ
「セキア、残ってるの全部のめよ。」とおっしゃられたので、私は責任を取って
残り全部飲みました。その話をみんなにすると、サトンさんとガトーさんが
気を使って下さって、ビールを一杯くださった。
おかげで喉の辛さは消えました。サトンさん、ガトーさん、ありがとうございました。
最後に、最近私は調子に乗り過ぎました。
ヤアシタからも注意されました。
反省しています。以後気をつけます。



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