ヒラヘラさんの日記・追記
〜これこそ手の内明かしてるだろっ!〜



4/21
まあこの結果がどう出たかは明日の日記でね。
おやすみなさ―い♪




・・・こんにちわ。
やめようと思ったけどまだ書いときたいことがあるのでまだ書く。

だってさー昨日の日記のバカさっぷりがやばいのでいいわけ。
なぜ私が他人から見たらどーでもいいことであんなに喜んでいるのか。
それはですねーちょっときれいになったことで、より自分らしい自分に
近づいた(ような気分になれた)からなんですねー。
私は美容道とは確かに美しくなる!という目標もありますが、最終的な目標としては
こんな自分になりたい!と思い努力することで自分の中の潜在能力を呼びさまし、
自分の理想と現実を合致させていくことだと思ってるのね。
確かに何もしてない自分の顔は最も自分らしいといえるのかもしれない。
でもそれは素直に納得できる自分らしさなんだろうか。
もうこれ以上どうにもなんないんだからしょうがないじゃ〜ん、なーんて
諦めちゃってる自分を”これが自分らしい”なんて思いたくないじゃないですか。
”自分らしさ”をさがす旅。
それがいまんところ私の考える人生であって、それを表現するのは毎日の自分なの。
表現なんですよ。
自分で自分の生活を、シアワセをプロデュースしていかなくちゃならない。
だから生活って人間のパフォーマンスなの。その生き様は作品なんだよ。
自己実現の手段は人によって違うと思うけど、私にとってキレイになることとか、
キレイだと感じるものっていうのは”自分らしさ”を見つけるための最も有効な
道しるべなんだ。だからひたすら美容道を突き進むわけよ。
わかりやすい例が昨日の爪の話だよね。


私の手ってね、ちっちぇ−の。
だからさー指も短いし爪も丸っこくてキレイじゃないんだよ。
そこでさー「あーあ」と思いながらも諦めるのは簡単なんだけどさ。
そーしないで、どーやったら自分のいいところを引き出して、より自分らしい自分に
なれるのか、という努力をするのが大事なわけですよ。
その結果は人から見たらぜっんぜんわかんないようなもんなんだけど、
自分はちょっとでも自分らしさに近づいたような気がして、
自己実現のシアワセを得られるわけなのよ。
だからあんなに本能的な喜びようなわけですね。
それにさキレイになる努力というのはメイクとかスキンケアだけじゃないよ?
友達を大事にするとか、部屋きれいにするとかそーいうのも
ぜーんぶひっくるめて美容道なの。
キレイっていうのは価値判断のための一つの物差しなので、そこには
そーいうのをどれだけきちんとやってるかもばっちり表れてくるのさ。
だって意地悪な人っていくらきれいでも品がないもん。
そんなのやだね。


”自分らしい自分”でいられるための自己プロデュースには
やっぱり失敗もつきものさ。
メイク崩れた最悪な顔をさらすこともあれば、思いやりが足りなくて
人を傷つけちゃうこともある。
そのたびに自己嫌悪の日々だよ。
でもその失敗を怖がって何にもしないでいるなんて、失敗もない代わりに
成長もシアワセもヨロコビもなーんにも手にできないよ。
っていうか生きる意味ナッシング。
努力する勇気をもつこと、それはつまり生きる勇気をもつことなのじゃ。
他人を大事に、自分も大事に。ていねいに暮らしてその日のシアワセをかみしめる。
そんな毎日送れたら、人生の終焉の時には自分に満足して終わっていけるんでしょうかねー。


ま、あたしもまだ死んだことないからわかんないや。アハ♪
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